不登校 中退 【ADHDグレーゾーン】 長男について 〜高校生〜
さて、無事に第一志望の公立高校に入学した長男。
夏休みまでは時折遅刻することはありましたが、特に大きな問題はなく高校に通っていました。
(お弁当問題は幼稚園から引き続きあり・・・。
さらっとこちら↓の記事にも書いていますがまた改めてお話しします。)
夏休みで一気に生活リズムが崩れます。
朝起きると寝ずにパソコンでオンラインゲームをしている日々。
何度もせめて夜は寝てくれと話しましたが、バイトもしておらず特に予定もないのでズルズルとゲームだけし昼夜逆転生活・・。もう夏休み中は諦めていました。
そして夏休みが終わり、再び高校に通う日々が始まりますが、遅刻・欠席が増えていきます。
初めは、起きられなくて遅刻・・・
電車で寝てしまい遅刻・・・
そのうち、遅刻して教室に入るのが嫌だからと遅刻の時は行かなくなり・・・
朝起こしても、「絶対に行かない!!」と欠席するようになり・・・
日に日に欠席頻度が増えていきました。
私も最初はただ眠くてサボっているのだと決めつけ、毎朝キレる!!
「授業料払っているんだ!いい加減にしろ!!」
出席日数が足りなくなって進級できなくなることも不安になり、無理やり玄関まで引っ張って行ったことも。。。
この時の私のキレ方は近所の方に通報されていてもおかしくなかったレベルだと思います。
でも、その時は私も学校に行ってほしくて必死でした。
だって、塾代も相当払ってきたし・・せっかく公立高校に入れたし・・・。
長男と交渉し、“月に1回、理由も言わずにサボって良い日”を作る
その代わりそれ以外はきちんと学校に行くと約束しましたが、
1週間も持たずに欠席の連続でした。。。
10月には月の半分も学校に行かなくなりました。
担任の先生とも毎日のように電話でやり取りし、
「まだ出席日数も大丈夫ですよ。」と言われ少し安心したり・・・。
ですが、ついに11月には「学校を辞めて働く。」と言い出しました。
学校に行かない理由は2つ!
1、クラスに行きたくない
11月の時点で、長男にはまだクラスに友達がいませんでした。
元々かなりのコミュ障で自分から話しかけるなんてもってのほか。
慣れてしまえば問題なくコミュニケーション取れるんですけどね。。
今まではクラスのちょっとおせっかいな(いい意味で)女子たちが気にかけてくれたり、明るく話しかけてくれるお友達に救われてきましたが、男子ばかりの高校。
文化祭の準備なども休んでしまっていたこともあり、いつまで経っても友達ができませんでした。
担任の先生からも「クラスに馴染めていない。」という話は聞いていました。
この問題は、親ではどうしてあげることもできません。。
2、課題ができない
夏休みまでは、出せていない課題もあったけどなんとか出せるものは出していました。出せていない科目では、夏休みに追加の課題が出たり、夏休み明けに出しなさいと言われたり・・・。
しかし、中学生の頃から提出物なんてきちんと出せずにきた長男。
もちろんできるわけもなく・・・
どんどん課題は溜まっていきました。
それをクリアできないがために高校を辞めるという長男に、担任の先生は、他の教科の先生と交渉し一度提出物をリセットしてくれ、今から足並み揃えて初めていく提案をしてくれました。
しかし、長男は「俺にはできない。」と・・・。
「俺はきっと学習障害なんだ!!」と泣き叫んだこともありました。
私も課題手伝うから一緒にやろう!とプリントを手伝ってみたりもしましたが、自発的
やるには至りませんでした。
もう一つは私が勝手に考察したことなのですが、長男は電車移動が苦手。
電車で出かけると、トイレに30分近くこもり吐く・・・
途中で下車してトイレにこもり・・・最寄駅に着いてからも・・・。
高校までは6駅なのですが、入学前に高校に行った時も残り2駅のところで降りてトイレにこもったこともありました。
なので、電車通学が本人の中でハードルが高いのかな?と考えました。
本人に電車通学が嫌だってことはない?と聞くと「それはない。」と。
しかし、我が子が高校を中退して働くと言っている事態。
私自身も高校を中退して結婚・出産したので高校中退自体が悪いこととは思わないのですが・・
もちろん世間体も気にするし、高校は卒業してほしいなという思いがありました。
まだできることがあるかもしれない状態で高校中退は受け入れられないという思いが強く、「車で送り迎えをしたら通えるかもしれない、やってみたい。」と思いました。
しかし、フルタイム正社員の私・・・・。
退職・休職も視野に入れまずは夫に相談。
最初は「それで通えたら・・・残り2年半毎日送迎し続けるの??」と反対気味でしたが、私が思い悩んで追い詰められているのを理解し、「仕事辞めることになってもいいよ、納得できるようにやってごらん。」と言ってくれました。
しかし、我が家には車は1台のみ。夫が通勤に使っているため送迎に使用できる車はありません。とりあえずは“タイムズカーシェア”を利用することにしたのですが、「続けるようなら車使っていいよ。電車で通勤するよ。」とまで言ってくれました。
夫の職場には車で45分。電車なら1時間半近くかかります。
そこまで言ってくれると思わなかったので、本当に嬉しかったです。
そして上司に相談。
「退職か休職を考えています。」と。
息子の状態を全て話しました。
上司も子育て中なので「母親としてできることはやってあげたい気持ち、分かるよ。」と理解を示してくれました。
しかし、自身の体調不良以外に休職の制度はないと。。
でも送迎の時間以外は働けるわけだから、退職は勿体無いよと。
とりあえず何ヶ月か有給を使って、送迎を続けるようならパートになってみたらどうかと提案してもらいました。パートなら時間の選択は自由だからと。
そして、有給も送迎の時間以外は出勤する半有給という形で、1日4時間のみ働くことになりました。
12月から送迎を始めて、最初は順調に通っていたのですが、そううまくはいきません。
結局教室に行くのが嫌で、送って行っても学校には行かず、そのまま電車で帰ってきたりするようになりました。。。
せっかく仕事が半日のこの期間に他にもできることをしようと、不登校外来なども調べましたが、不登校外来の対象は義務教育までばかり。
ならば思春期外来やADHD、ゲーム依存などを扱っている精神科に行ってみようと思いましたが、どこも新規予約の受付を休止中だったり、来年の春まで予約がいっぱいでまた来年電話してくださいと言われたり・・
通える範囲に今からかかれるところはなく、精神科受診はハードルが高く諦めてしまいました。
2学期が終わる頃には、私の中でも「もう無理だな。」という気持ちが芽生え始めました。長男の話をするたびに涙が溢れ、精神的にもギリギリの状態でした。
そして長男と、このまま本当に働くのか、別の高校に行くのか話し合いました。
この頃に、同じような状況で子育てをしている職場の方から話しかけていただき、「エンカレッジスクール」という存在を教えてもらいました。
私もエンカレッジスクールはよく知らなかったのですが、話を聞いていくうちにそこなら長男でもできるのではないかと思い、長男に「もっとペースがゆっくりな高校もあるよ。」という話をしました。
長男の中でも、心のどこかに高校は卒業しておきたいという思いがあったようで、一緒に見学に行き、その高校に転入することに決めました。
長くなってしまったので、転入を決意し、現在に至るまでのお話はまた次回しようと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
スマホ ゲーム 【ADHDグレーゾーン】長男について 〜中学生〜
ADHDグレーゾーン長男の小学校入学までの様子はこちら↓
ADHDグレーゾーン長男の小学生の様子はこちら↓
さて、長男、中学生になりました。
中学生になりスマホデビューをしました。
きちんと購入前にルールを決めて、契約書も取り交わしました。
「テスト1週間前からは使用しない。壊したら自分のお小遣いで修理する。」
などです。
もちろんスマホには制限をつけていて(スクリーンタイム)、テスト前には必要最低限の電話しかできないようにしていました。
Nintendo Switchも時間管理をしていました。
しかし、夜更かしなかなか起きられない日々になっていきました。
スマホもSwitchも制限かけてるし何をしているのだろうか・・・?
気になってふと夜中に部屋に行くと、DSやゲームボーイアドバンスをしています。
元夫(父親)に買ってもらったと・・・・。
おまけに、Switchも何度暗証番号を変えても探し出して解除し、無制限で遊ぶ。
(私の社員番号にしても解かれました。。。。どこかにしまってある仕事の書類を見たのだと思います。)
そしてスマホもスクリーンタイムを突破する方法を検索し、無制限でやる。
(これほんとどうにかならないんでしょうか?頭を悩ませてる親御さんも多いはず。
突破されない方法をこちらも検索していたら同じ悩みを持った方、多くいました。)
呆れました。
私も耐えられず何度も怒って、テスト前日の夜中にDSを真っ二つに折ったこともありました。
ここから定期テスト前のストレスとの戦いが開幕です。
(↑私の。現在進行形。)
テスト2週間前・・・もちろん勉強している姿はありません。
テスト1週間前・・・いまだに勉強している姿はありません。
「テスト勉強した方がいいんじゃない?」
テスト3日前・・・・そろそろ私もキレ始めます。
「勉強しないの?」「提出物間に合うの?」「何考えているの?」
テスト前日・・・・全く勉強していません😡
こんな調子なので、もちろんテストの点数も取れません。平均点なんて超えたことは1度もありません。
成績も良くて“3”が数える程度。もちろん“1”もあります。
中学入学前までは、WISCの結果を受けてみんなと同じテスト時間で解答用紙が埋められるのかと心配していましたが、そんな心配ご無用。そもそも解答用紙がほぼ空欄なのでした・・。
こんな成績で入れる高校なんてあるのか・・・。
なーんて頭を抱えていたのですが・・・現在受験生の次男の方がよっぽど成績が悪く、今となってはこの当時の長男の成績くらい取ってくれと願う日々😂
しかし当時は提出物も出さず、テスト勉強もしない姿に何度も「なんでやるべきこともできないのか!」と私も声を荒げる日々でした。
スマホを無制限に使っていることも、「最初にした約束と違う!」と言うと、
「だってあの場では約束したようにしとかないとスマホ買ってもらえないから。」と💢
もちろん何度もスマホを没取しました。
すると・・・腹いせに人のものを壊してくるようになりました。
この頃から、完全にどう接したら良いか分からなくなっていきました・・・。
ゲーム依存症などの治療をしている病院に入院させた方がいいのではないかと考えたこともあったし、2人で大泣きしながら言い合ったこともありました。
落ち着いて「人のものを壊すのはやめてほしい。そんなことされると一緒に住むことさえ不安になる。」と伝えたら、長男から「ママが先にDS壊したからやり返した。」と言われました。
“・・・・・確かに!私も人のもの壊した。”とハッとしました。
そこから物を壊されることは無くなりましたが、一応不安なので大事なものはリビングには置かず、夫婦の部屋に後付けの鍵をつけました。
受験生になり、塾に通い始めました。
週2回、数学と英語のみ受講し、テスト前や夏期講習・冬季講習では追加で国語・理科・社会を受講しました。
もちろん個別です。
塾からは毎月宿題の提出状況など送られてくるのですが、もちろん宿題は毎回やっていません。
おまけに授業にも毎回10分程度遅刻・・・。
塾の先生は特に注意してくれないようで、私も塾から何か言われることはありませんでした。
ただ、塾をサボったりすることはなく、きちんと毎回行くことはしていました。
長男は、中学校1年生の時“卓球部”に入部しました。
道具も一通り揃え、ユニフォームもゼッケンも購入したのですが、あっという間に幽霊部員になりました。
目立つこと嫌いなので、何か行事の実行委員などをすることもなし。
何か検定を受けたこともなし。
受験目前の3者面談で、担任から「調査書に書けることがない。」とはっきり言われました。
結局書かれた内容は「黒板係として毎時間黒板を綺麗にしてくれた。」といった内容。
「第一志望の公立高校がダメだった時のために定時制なども考えておいた方が良い。」とさえ言われました。
ゲーミングPCが欲しいと言われていたので「公立に合格したら買ってあげる。」とニンジンをぶら下げ、なんとか受験に挑みました。
結果は倍率1.0倍。第一志望の高校に全入で合格することができました。
高校生になったらもう1段階手が離れる!
好きなようにバイトして・・恋して・・高校生活楽しんでくれ〜と喜んでいたのですが・・・
高校生活こそが、私もこれまで以上にメンタルが削られる“子育て史上最高”に辛い時期の始まりなのでした・・・・。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いじめ 不登校 WISC【ADHDグレーゾーン】長男について 〜小学生〜
長男が小学生になるまでの様子は↓こちらの記事をご覧ください↓
長男が小学生1年生の時、大きな問題が2つ起きました。
1つ目に勃発した問題が「いじめ」
まさか自分の子供が、、、しかも小学校1年生で、、、、
いじめの対象になるなんて想像もしていませんでした。
いじめの原因は、当時流行していた「妖怪ウォッチ」の洋服を着ていたこと。
小学生にもなってキャラクターの洋服を着ているなんて格好悪いという理由でした。
クラス全体が、とか、大人数で、ではなく特定の子達に嫌なことを言われていたようでした。
これが発覚したのが、同じクラスのお友達のママからの情報。
「Aくんに、妖怪ウォッチの洋服が原因でいじめられているってうちの子が言っていた。」と教えてもらったのです。
担任の先生は把握していないようだったのですぐに学校に連絡しました。
しかし、発覚してすぐにAくんは小学校の窓ガラスを割って警察も駆けつけるような事件を起こし転校していきました。
Aくん転校後は、特にいじめられることもなく過ごすことができました。
2つ目は、「プチ不登校」
冬に、授業の中で凧を作って飛ばしていたのですが、長男が飛ばしていたタコの糸が女の子の首に引っ掛かってしまったのです。
巻きついたりはしなかったのですが糸の摩擦でその子の首に傷が出来てしまいました。
幸い傷は小さく、その子のお母さんも「事故だから気にしないで。」と言ってくれたのですが、長男はお友達を傷つけてしまったことに傷つき2週間ほど学校に行けなくなりました。
目立った事件は2つでしたが、プチ登校拒否は日々行われていました。
小学校は、自宅とばぁばの家の中間地点にあるのですが、学校に行かずにばぁばの家に行くという・・・。
学校から「来ていません。」と連絡が来て、急いで探しに行くと、ばぁばから「家の前にいたよ!」と連絡が・・・・。
これが6年生の時にばぁばが急死するまでは日常的に繰り返されるようになりました。
途中からは学校から直接ばぁばの家に電話が行くようになり、ばぁばが学校に連れて行ってくれていました。
この頃は、「本当にばぁばのことが好きだね〜。」くらいにしか考えていなかったのですが・・・・
後から思うとこれも不登校の始まりというか・・・本人からのSOSだったのだろうなと思います。
学校側からもこんな長男の様子を見て市の心理士の介入や通級を提案されました。
流れとしては心理士の介入→通級の申請だったので、まずは心理士の介入をお願いし授業の様子を見てフィードバックをもらったりしていたのですが、、、、。
私自身もADHDグレーゾーン。。。離婚し、一人で仕事に家事・育児をしていたこともあり、心理士からの電話に出れなかったり、かけ直すのを忘れたり・・・
面談の日程の調整が難しかったり・・・。
次第に面倒くさくもなり、勝手に心理士との連携を断ってしまいました。
なのでここでも通級には結び付かずでした。。。
前回の療育同様、ここでも私がもっとちゃんとしていれば・・・と後悔しています。
当時は、1年生の担任の先生はいろいろ口うるさく突っ込んできて面倒臭いなーと思っていました。
しかし、後から振り返れば、すごくよく考えてくれていたのだなと思います。
学年が上がるにつれ、学校では目立った問題は起きないものの、家では小さな問題は常に抱えていました。
部屋が片付けられない、忘れ物が多い、ゲームや動画(好きなこと)から切り替えられない、時間を守れない、清潔を保てない、自分の気持ちを言葉にして伝えられない
などなど・・・。
これらが気になり、毎年学校の個人面談の時に「私はこの子をADHDだと思っているんですけど・・」と、担任の先生に相談するですが「私はそうは思わないですけどね?」と言われてきました。
「でも、うちの子10年も生きているのに、いまだに言われないと歯磨きも出来ないんですよ?」と言っても「男の子なんてそんなもんですよ。生まれてから1度も歯磨きしたことないなんて威張っている子もいますよ。」なんて言われたりして・・・。
そういえば、長男は2年生になり、少年野球⚾️を始めました。
1年間、毎週末、朝から夕方まで練習していたのですが・・・・
まさかの1年経ってもキャッチボールすらできるようになりませんでした💦
もちろん全く上達しないので本人のやる気は皆無です。
続けることも大事だと悩みましたが、自分自身が習い事を嫌々続けていて苦痛だっったことと、あまりにも上達しないので見切りをつけてあげることも大事かなと思い、野球は1年で辞めました。
後々、「うちの子、ADHDなのでは?」と、いろいろ調べているときに
「ADHDだと運動音痴なことも多い」と書いてあるのを見て納得できました。
毎年、面談でそんな話を持ちかけ続け、ついに5年生の時の担任の先生に「お母さんが気になるなら市の心理士に介入してもらって知能検査を受けてみますか?」と言ってもらうことができました。
市の心理士・・・。そう、1年生の時に途中で勝手に辞めたあの・・・。
そんなこともその担任に話したのですが「気にしなくて大丈夫ですよ。」と言ってもらうことができ、WISC検査を受ける運びとなりました。
長男が受けたのはWISC−Ⅳという検査。
結果は、FSIQは平均だが一番得点の低い“処理速度指標”は「境界域」
この検査はADHDを診断するものではないけれど、ネットで見た情報によるとADHDの子はこの処理速度指標が低い傾向にあるのだそう。
一番得点の高い“知覚推理指標”との差は23。差が15以上あると凸凹があって日常生活に支障があるとか・・・
20以上あると発達障害、なんて書かれているサイトもありました。
これを受けて「やっぱりうちの子ってADHDなんだろうな。」と思ったのですが、診断は受けていないので【ADHDグレーゾーン】ってことにしているんです。
WISC検査の報告書には
「初めて経験する場面でつまづいたり戸惑ったりしやすい」
「決められた作業をすばやく行うことや集団と同じペースで行うことが苦手」
と書かれていました。まさしくです!!!
幼稚園の頃から見通しの持てないことは苦手だったし、漢字ノートや書き写しの宿題は、朝を迎えてしまうんじゃないかと思うほど遅いんです。
結果を受け、担任の先生からは「宿題もみんなと同じ量ではなく、書く量を減らして負担を少なくしましょう。」と提案してもらうことができました。
先生に配慮してもらい、今まではほとんど宿題を終わらせることのできなかった長男も、少しづつ宿題に取り組むことができるようになってきました。
私もそんな姿を見て、安心していたのですが・・・・。
その先生は3月いっぱいで転任してしまいました。
当然のように、その先生から新しい担任の先生に長男のことは引き継ぎされていて、6年生になっても変わらず支援が受けられると思っていたのですが、、、
特に何の引き継ぎもされておらず、6年生ではまた「みんなと同じ」が始まります。。
新しい担任に、WISCの検査結果なども話したのですが「できなかったらそれはそれで大丈夫だから。」と特別な配慮は受けられませんでした。
卒業を控え、「このまま中学生になって、テストで時間内に問題全部解き終えることなんてできるのかなぁ?」なんていう不安も出てきました。
でも、中学のテストではテストの時間内で・・なんてことは全く問題にはなりませんでした。
そんな中学生からの様子はまた後日書こうと思います。
読んでいただきありがとうございました。
療育 不安感【ADHDグレーゾーン】長男について 〜小学校入学前まで〜
ADHDグレーゾーンの長男は現在17歳です。
幼稚園に入園するまでは、教科書通りの成長発達をし、特に誰かに何かを指摘されたことはありませんでした。
ただ、とにかく泣き虫😢でした。
元夫とは、長男への暴力を理由に離婚しているのですが(これについてはまた別で書こうと思います)、
長男がうじうじ泣いている姿に苛立ち、暴力を振るう。
そうすると、さらに長男が泣く😢・・・という負のループの繰り返しでした。
そんな長男が「周りとはちょっと違う?」と思い始めたのは幼稚園に入園してからです。
幼稚園に出発するときに渋ることはなかったのですが、幼稚園に着き、
いざ“バイバイ”する時が来ると全く離れられないのです。
私にしがみ付き大泣き😭
年少さんの時は最初はこんなもんだよね。と思っていましたが、、、、
卒園するまでの3年間、毎日続きました💦
当初は担任の先生が引き離しに来ていたのですが、毎日のことでひどいと1時間近く離れられない様子に、サポートの先生が長男を引き離す要因で長男のクラスに導入されました。
とはいえ、1度離れてさえしまえば切り替えてお友達と楽しく遊んでくれていましたので、それがせめてもの救いでした。
日々の活動も見通しが持てないと不安感が強くなってしまうため、今日は何をするのかなど、具体的に説明し、見通しを持たせてあげる作業が必要でした。
この頃から、本人にとっての譲れないこだわりも出てきました。
一番困ったのが、可愛いものが受け付けられないこと!
外食に行き、キッズメニュー🍽️を頼むと、だいたい子供向けの可愛い食器で出てきますよね?
この、可愛いキャラクターや動物のついた子供向けの食器が受け入れられなくて、どんなに好きな食べ物でも全く食べませんでした。
なので、外食先でキッズメニュー🍽️を頼むときは、店員さんに「子供向けの食器ではなく、なんでもいいので普通のお皿に乗せてきてください。」とお願いする必要がありました。
幼稚園のお弁当🍱も食べられない子でした。
入園当初は良かれと思って「キャラ弁」を作っていたのですが、一口も食べずに帰ってくる日々。。。。
ある日先生に「可愛いと可哀想で食べられないみたいです。詰め弁にしてみてください。」と言われました。
言われた通りに詰め弁にした日、初めて幼稚園でお弁当を食べて帰ってきました。
とっても嬉しかったのですが、完食してきたのはその日が最初で最後、、、、。
そこからがまた、お弁当🍱との戦いの始まりでした、、、、。
長男はいまだにお弁当が食べられません。手作りでもコンビニのでも・・・。
これについてもまた後日、書こうと思います。。
この頃から、幼稚園の先生に療育を勧められるようになりました。
母や周りの友達にそのことを相談すると「そんなこと言ったら、みんな何かしらグレーゾーンだよ。」「今は昔より発達障害って言葉が身近になっているだけで、昔だったらそんなの普通のことでスルーされていたよ。」「まだ必要ないんじゃない?成長とともの変わっていくよ。」と・・・・・。
誰に相談しても「療育に行った方がいいよ!」という人はいませんでした。
私も、「そうだよね〜。成長とともに変わるよね〜。」と気楽に考え、療育に行くことを考えることはありませんでした。
でも、、、いまだにいろんなことにつまづいている今、絶対にあの時行っておくべきだったと思っています。
今、周りの幼い子供を持つ知人に言っていることは
「先生などに成長発達について何かを指摘されたら、絶対に両親や友達の意見ではなくそちらを受け入れること。何かを指摘されたら、そんままにせず絶対に専門家に見てもらうこと。」
小さなつまづきを感じたら、絶対に放置しないで小さいうちに解決していってあげて下さい。
これは、私の子育てにおける最大の後悔&懺悔ポイントです。
私もあの時、きちんと受け止め、専門家に繋いでいたら、、、、、
もっと長男は生きやすかったのかもしれない。そう思ってなりません。
そんな大泣きした3年間を無事に終え(卒園式でも長男だけ大号泣していた・・。)
なんとか小学生に。
小学生になっても問題は次々と起こります・・・。
これについては次の記事で書こうと思います👋
ブログを始めたきっかけ
初めまして。
ADHDグレーゾーンの男子二人を育てています。
幼い頃から不安感が強く自己肯定感が低く、色々つまずいてきた長男。
不登校も経験し、現在2回目の高校1年生。
逆に自己肯定感が高く、根拠不明な自信ばかりあるけど勉強が全くできない
志望校への道が怪しい現在中学3年生の次男。
そして自分自身も多分ADHDだなと思いながら生きている私。
今までも、自分自身がADHDグレーゾーンでまともな子育てができていないこと、離婚を経験し今はステップファミリーなこと、フルタイムワーママで忙しさを理由にきちんと子供と向き合ってこなかったこと・・・・
いろんな原因があって、子育てに悩みもがきながら “なんとか” ここまで来たんだけど・・・
この1年は発狂するような思いを抱えながら、たくさん悩んで たくさん泣いてきました。
そんな時に私の心を救ってくれたのは、私の一番の理解者である夫でもなく、同じ歳の子供を育てている親友でもなく、似たような状況で似たような悩みを抱えている、連絡先も知らないような職場の人でした。
関係性の深さより同じことに悩んでいる人と話すことが私の救いになりました。
私自身の経験を発信することで誰かの役に立てたらいいな!
そんな思いからブログを始めました。
何かを解決できるような情報はないけれど、うちだけじゃないんだなって思って読んでくれたら何よりです。